Shota's Movie Review

2003年から「CDジャーナル」誌(音楽出版社 刊)に掲載されてきた映画レビューを再録しています。

耐えて耐えて耐えたあと、ラストの法廷スピーチは圧巻。

たった50年前の米国、名門法科大を首席で卒業したルースだが、“女は弁護士に向かない”とすべて事務所で門前払い。
“差別ではない、区別だ”“女は家庭を守るべき”──今でも身近に聞く言葉。
だが権利の主張に失敗は致命的、失敗は前例となってかえって行く手を阻む。
実在の女判事の若き日を演じるのは『博士と彼女のセオリー』のF・ジョーンズ。
耐えて耐えて耐えたあと、ラストの法廷スピーチは圧巻。

【CDジャーナル 2019年秋月号掲載】

「虎の威を借る狐」の寓話を映画化したのかと思いきや、実話

第二次大戦末期のドイツ軍。
脱走した若い兵士が、道端で将校の軍服を見つける。それを着た彼を本物の将校と勘違いして媚び諂う者が集るようになり、権力に酔う若者は「即決裁判所」をも司るように。
裏切り者、売国奴と見做した同朋を次々とを処刑し始めたのだ。
「虎の威を借る狐」の寓話を映画化したのかと思いきや、実話だとな。
これから殺す相手を舞台に立たせて宴ができる。それが戦争、愚の極み。

【CDジャーナル 2019年秋月号掲載】

老女王の寵愛を争う女二人の生臭さ、狡猾さ。

18世紀初頭、続く戦争に疲弊していた英国。老いて孤独な女王と、二人の女がいた。幼馴染で遠慮のない公爵夫人。没落貴族で、下女となった美しい少女。
二人が競って寵愛を受けようと、老女との性行為すら厭わないのは、女王の信じる“愛”からではない。ただの上昇欲求だ。
①舞台や衣装の豪奢さと、彼女らの生臭さ(クンニ、手コキなんて行為も大事な劇中要素)、
②アホ面の男どもと女の狡猾さ、ふたつの対比を楽しむ。

【CDジャーナル 2019年夏号掲載】

少し疲れた大人女子用のサプリメント映画

レディ・バード』『フランシス・ハ』系譜の、少し疲れた大人女子用のサプリメント映画。
主人公はIQ185の天才少女、18歳で大学は出たもののコミュ力はゼロ、友人もゼロ。そこでセラピストに手渡されたのが「ペットを飼う」「誰かとデートする」など6つの小さな挑戦が書かれた1枚のリスト──。
「女子が分からない!」てな男子が観れば何かのヒントになる、か、逆に「やっぱり女は分からん!」といっそ諦めがつくか。

【CDジャーナル 2019年夏号掲載】

奇をてらわない「愛することの悲しさ、切なさ」。多様化したゲイ映画の原点回帰。

“神の恵みの地”、つまり肥沃な農地が続くだけの広大な田舎。
老いた家族と酪農でくらすジョニーは、すべてを諦めた顔をしている。
彼はゲイだが、だから何があるわけでもない。酒と、たまに街に出たときの刹那的なセックスがあるだけ。
だが、農場を手伝いにきたある精悍な男との出会いは、いつしか彼の“諦め”を引っくり返す──奇をてらわない「愛することの悲しさ、切なさ」。多様化したゲイ映画の原点回帰。◎。

【CDジャーナル 2019年夏月号掲載】

まっとうに生きることを諦めたからこその、互いへの思いやり。

日々平然と万引きを繰り返す父子に、笑顔でJKビジネスに身を置く娘、人の弱みにつけ込んで小金をせしめる祖母──
是枝監督が描くのは、ただ小悪を重ねるだけの、観る価値もないような一家の日常。
だが物語が進むにつれ、何かの汚れが布地に染み広がっていくように、徐々に心を揺さぶられて深く深く見入る。
血縁すら定かでないままに集まった“疑似家族”、それぞれの根底にあるのは“諦観”。
まっとうに生きることを諦めたからこその、互いへの思いやり。
安藤サクラの巧演が、樹木希林への惜別を上回るほどに強く印象に残る。

【CDジャーナル 2019年5・6合併号掲載】

愛し合っているのに、決別する二人。悲しいほどに堅く保守的だった当時の「性」。

1962年、ロンドン。
厳格で裕福な家庭に育った美しい娘と、事故で脳に障害を負った母を持つ青年。
対照的な環境にある二人が恋に落ち、祝福されて結婚するが、互いに経験のないまま迎えた初夜で、はからずも激しい口論が始まり──。
確かに愛し合っているのに、決別する二人。
当時の女性にとっての性は、悲しいほどに堅く保守的なものだった。
ほんの数年後、70年代には“スウィンギング・ロンドン”という若者文化で世俗は激変するのに──。
英国を代表する作家、イアン・マキューアンの『初夜』を丹念に映像化。

【CDジャーナル 2019年5・6合併号掲載】