Shota's Movie Review

2003年から「CDジャーナル」誌(音楽出版社 刊)に掲載されてきた映画レビューを再録しています。

老女王の寵愛を争う女二人の生臭さ、狡猾さ。

18世紀初頭、続く戦争に疲弊していた英国。老いて孤独な女王と、二人の女がいた。幼馴染で遠慮のない公爵夫人。没落貴族で、下女となった美しい少女。
二人が競って寵愛を受けようと、老女との性行為すら厭わないのは、女王の信じる“愛”からではない。ただの上昇欲求だ。
①舞台や衣装の豪奢さと、彼女らの生臭さ(クンニ、手コキなんて行為も大事な劇中要素)、
②アホ面の男どもと女の狡猾さ、ふたつの対比を楽しむ。

【CDジャーナル 2019年夏号掲載】

少し疲れた大人女子用のサプリメント映画

レディ・バード』『フランシス・ハ』系譜の、少し疲れた大人女子用のサプリメント映画。
主人公はIQ185の天才少女、18歳で大学は出たもののコミュ力はゼロ、友人もゼロ。そこでセラピストに手渡されたのが「ペットを飼う」「誰かとデートする」など6つの小さな挑戦が書かれた1枚のリスト──。
「女子が分からない!」てな男子が観れば何かのヒントになる、か、逆に「やっぱり女は分からん!」といっそ諦めがつくか。

【CDジャーナル 2019年夏号掲載】

奇をてらわない「愛することの悲しさ、切なさ」。多様化したゲイ映画の原点回帰。

“神の恵みの地”、つまり肥沃な農地が続くだけの広大な田舎。
老いた家族と酪農でくらすジョニーは、すべてを諦めた顔をしている。
彼はゲイだが、だから何があるわけでもない。酒と、たまに街に出たときの刹那的なセックスがあるだけ。
だが、農場を手伝いにきたある精悍な男との出会いは、いつしか彼の“諦め”を引っくり返す──奇をてらわない「愛することの悲しさ、切なさ」。多様化したゲイ映画の原点回帰。◎。

【CDジャーナル 2019年夏月号掲載】

まっとうに生きることを諦めたからこその、互いへの思いやり。

日々平然と万引きを繰り返す父子に、笑顔でJKビジネスに身を置く娘、人の弱みにつけ込んで小金をせしめる祖母──
是枝監督が描くのは、ただ小悪を重ねるだけの、観る価値もないような一家の日常。
だが物語が進むにつれ、何かの汚れが布地に染み広がっていくように、徐々に心を揺さぶられて深く深く見入る。
血縁すら定かでないままに集まった“疑似家族”、それぞれの根底にあるのは“諦観”。
まっとうに生きることを諦めたからこその、互いへの思いやり。
安藤サクラの巧演が、樹木希林への惜別を上回るほどに強く印象に残る。

【CDジャーナル 2019年5・6合併号掲載】

愛し合っているのに、決別する二人。悲しいほどに堅く保守的だった当時の「性」。

1962年、ロンドン。
厳格で裕福な家庭に育った美しい娘と、事故で脳に障害を負った母を持つ青年。
対照的な環境にある二人が恋に落ち、祝福されて結婚するが、互いに経験のないまま迎えた初夜で、はからずも激しい口論が始まり──。
確かに愛し合っているのに、決別する二人。
当時の女性にとっての性は、悲しいほどに堅く保守的なものだった。
ほんの数年後、70年代には“スウィンギング・ロンドン”という若者文化で世俗は激変するのに──。
英国を代表する作家、イアン・マキューアンの『初夜』を丹念に映像化。

【CDジャーナル 2019年5・6合併号掲載】

最初で最後のキス

孤児院育ちのゲイの少年と、知的に少々問題のある少年、まわりから“ヤリマン”と揶揄される少女。
学校でどんなに無視されてもイジメられても強くある3人の高校生を明るく描く展開に「ダサポップでかわいい★」などとお気楽気分で観ていたら──
イタリア北部の田舎町を舞台とした映像の「楽しげな色彩」は、ある一瞬を境に「原色の生々しさ」に変わる。
思春期独特の、繊細さと傲慢さの共存。
彼らを支えようとする親たちのぎこちない葛藤にも共感。
要所要所にくさびのように打ち込まれるレディー・ガガの歌が力強い。

【CDジャーナル 2019年04月号掲載】

シークレット・ヴォイス

表舞台から遠ざかり、生活にも困窮し始めた往年の歌姫リラ。
復活コンサートを目前に控えたある日、海岸で倒れているのを見つかった彼女は、自分の名前も、歌を歌うことも忘れていた。
彼女を支えるマネージャーは、彼女を崇拝して歌も踊りも完コピしている女性を見つけ出し──。
物語が静かに進む中、コピーがコピーをコピーすることが重ねられ、何がオリジナルなのかを見失う。
そもそも主人公は、自分が主人公であることを拒否している。
主題とは別に、物語の裏側に読み取れる2組の母娘の冷然とした愛憎関係が怖い。

【CDジャーナル 2019年04月号掲載】