Shota's Movie Review

2003年から「CDジャーナル」誌(音楽出版社 刊)に掲載されてきた映画レビューを再録しています。

与えられるべきものを奪われた子どもたちの悲痛

 日本初の劇場型犯罪、昭和59年の“グリコ・森永事件”をなぞりながら、その一部始終のひとつの可能性を、緻密な想像で描く。
軸となるのは、犯人でも被害者でもなく、犯罪電話に使われた“声の主”の子どもたち3人。
警察とマスコミを翻弄した事件を、20数年を経て問い直す意義。
元になった事件はいまだ未解決だが、与えられるべきものを奪われた周囲の人たちの悲痛はきっと本物。
意外なドンデン返しもあり、エンタメとしても成立している。

たぶん根は悪い人間ではない、気まぐれに見える小娘の造形がよい

 ブラジルのどこかの田舎町。
視力を失いつつある独居老人は、頑固で融通が利かず、大切な手紙も読めない。
そんな彼が偶然出会ったのは、サクッと人の物を盗んでいくし、シレっとを人を裏切るような小娘。
たぶん根は悪い人間ではない彼女に手紙のやりとりの代行を頼むうち、老人には活力が戻ってくる。生きる潤いが、意欲が戻ってくる。
気まぐれに見える小娘の造形がよい。そしてなんだかソワソワしている老人の姿がかわいい。
質の良い小作。

予告編は観ないで直当たりで観るのがオススメ。しみじみと怖い。

 怖い怖い怖い怖い。
冒頭、小春(土屋太鳳)一家が襲われる大惨事の数々はコミカルなのに、白馬に乗った王子様である大悟(田中圭)と出会った!──という突然の大きな幸福の後に、気がつけば積み重なってゆく小さな歪み……。
シンデレラの話に「哀愁」とつくタイトルの意味。
3月のライオン』や『ビブリア古書堂の事件手帖』の脚本を手掛けた渡部亮平の商業映画監督デビュー作。
予告編は観ないで直当たりで観るのがオススメ。しみじみと怖いよ。

自分がゲイだと認めきれていない青年の、好きな男とのたった一度の、悪ふざけのような数秒間のキス。

 『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』のグザヴィエ・ドランの主演・監督作。

仲間同士のパーティや馬鹿騒ぎ、流暢で皮肉に満ちたフランス流の会話の応酬に隠されたひとつの想い。
自分がゲイだと認めきれていない青年の、好きな男とのたった一度の、悪ふざけのような数秒間のキス。
彼だけが大切にし、心の中に沈めている思い出。それが「学生映画を撮りたい」という友人の妹の願いによって、もう一度表面に浮き上がってくる――その想いがとても美しい。

実話。彼らは今、どうなっているんだろう。

 “ストックホルム症候群”――誘拐や監禁などの密室状態で、被害者が犯人に好意を持ってしまう心理状態。本作ではその名の元となった1973年の人質監禁強盗事件を丁寧に、時に乱暴に描く。政治家や警察など部外者を信じられない中、被害者の密室での好意は恋となっていく……。保身のための勘違いなのかもしれない。しかし恋とはすべからく勘違いである。主演のイーサン・ホークノオミ・ラパスも好演。ところで彼らは今、どうなっているんだろう。

ただただ怖い、が、最後の一瞬で、観客はさらに怖いことに気づく。

歴史が浅い国のわりに、アメリカの地下には数千kmもの忘れられた地下道がある。破棄された地下鉄網や道路、廃坑などだ。地上には陽射しに包まれた生活がある。
しかし地下にもし、封じられた人々の生活があるとしたら……まるで地上の人々の幸せの影にように。
交わるべきではなかったのに、ある移動遊園地には、ふたつの世界を繋ぐ穴が開いていた──ただただ怖い、が、最後の一瞬で、観客はさらに怖いことに気づく。

歪んだユーモアを持つサイコパスとなった。同情はできない哀しさ。

世紀の悪人は、いかにして悪人となりしか。
アメコミの常で各キャラの出自は何度も違う形で描かれてきたが、バットマンの宿敵ジョーカーについては、これがもっともダーク。
堕ちていったのに、大きな要因などなかった。病の母を介護しつつ芸人を目指し、ピエロ役で下積みする男の小さな苦悩の積み重ね。本作はそれを丹念に描いた。
苦労人は、いつしか歪んだユーモアを持つサイコパスとなった。同情はできない哀しさ。