Shota's Movie Review

2003年から「CDジャーナル」誌(音楽出版社 刊)に掲載されてきた映画レビューを再録しています。

まっとうに生きることを諦めたからこその、互いへの思いやり。

日々平然と万引きを繰り返す父子に、笑顔でJKビジネスに身を置く娘、人の弱みにつけ込んで小金をせしめる祖母──
是枝監督が描くのは、ただ小悪を重ねるだけの、観る価値もないような一家の日常。
だが物語が進むにつれ、何かの汚れが布地に染み広がっていくように、徐々に心を揺さぶられて深く深く見入る。
血縁すら定かでないままに集まった“疑似家族”、それぞれの根底にあるのは“諦観”。
まっとうに生きることを諦めたからこその、互いへの思いやり。
安藤サクラの巧演が、樹木希林への惜別を上回るほどに強く印象に残る。

【CDジャーナル 2019年5・6合併号掲載】

愛し合っているのに、決別する二人。悲しいほどに堅く保守的だった当時の「性」。

1962年、ロンドン。
厳格で裕福な家庭に育った美しい娘と、事故で脳に障害を負った母を持つ青年。
対照的な環境にある二人が恋に落ち、祝福されて結婚するが、互いに経験のないまま迎えた初夜で、はからずも激しい口論が始まり──。
確かに愛し合っているのに、決別する二人。
当時の女性にとっての性は、悲しいほどに堅く保守的なものだった。
ほんの数年後、70年代には“スウィンギング・ロンドン”という若者文化で世俗は激変するのに──。
英国を代表する作家、イアン・マキューアンの『初夜』を丹念に映像化。

【CDジャーナル 2019年5・6合併号掲載】

最初で最後のキス

孤児院育ちのゲイの少年と、知的に少々問題のある少年、まわりから“ヤリマン”と揶揄される少女。
学校でどんなに無視されてもイジメられても強くある3人の高校生を明るく描く展開に「ダサポップでかわいい★」などとお気楽気分で観ていたら──
イタリア北部の田舎町を舞台とした映像の「楽しげな色彩」は、ある一瞬を境に「原色の生々しさ」に変わる。
思春期独特の、繊細さと傲慢さの共存。
彼らを支えようとする親たちのぎこちない葛藤にも共感。
要所要所にくさびのように打ち込まれるレディー・ガガの歌が力強い。

【CDジャーナル 2019年04月号掲載】

シークレット・ヴォイス

表舞台から遠ざかり、生活にも困窮し始めた往年の歌姫リラ。
復活コンサートを目前に控えたある日、海岸で倒れているのを見つかった彼女は、自分の名前も、歌を歌うことも忘れていた。
彼女を支えるマネージャーは、彼女を崇拝して歌も踊りも完コピしている女性を見つけ出し──。
物語が静かに進む中、コピーがコピーをコピーすることが重ねられ、何がオリジナルなのかを見失う。
そもそも主人公は、自分が主人公であることを拒否している。
主題とは別に、物語の裏側に読み取れる2組の母娘の冷然とした愛憎関係が怖い。

【CDジャーナル 2019年04月号掲載】

クワイエット・プレイス

冒頭からしばらく、音のないシーンが続く。
音に反応して襲ってくる“何か”から逃れるため、主人公一家は地下に潜り、手話で生活しているからだ。
しかしその“何か”は、全編を通してほとんど姿を現さない。
その正体や由来が説明されることもないまま、観客は放置される。
世界は“何か”によって荒廃しているらしい──人間にとってもっとも恐ろしいものは、“正体が分からない何か”だということだけが分かる。
この映画自体が何かの実験なのか、我々を試しているのか、という戸惑いの中、純度の高い“怖さ”だけが迫り来る。

【CDジャーナル 2019年02・03月合併号掲載】

インクレディブル・ファミリー

“いろんなスーパーヒーローが実在したらどんなにハタ迷惑か”というシニカルな自虐をまずは土台に築いておいて、あっという間にそれをバリバリと切り崩し、観客を惹き込んでしまう――ピクサー、やっぱり完全勝利。スーパーヒーロー一家を描く大ヒットアニメの続編。
前作でチラ見せしたままお預けにされていた赤ん坊、ジャック・ジャックも大暴れ、ザコのスーパーヒーローたちもそれぞれ魅せるし笑わせる。
レトロ・フューチャーな世界造形は手が込んでいるし、大人向けのメッセージもきっちり織り込んでいる。もう、感服です。

【CDジャーナル 2019年02・03月合併号掲載】

2重螺旋の恋人

冒頭2分ほどで女性の美しさとグロテスクさの両極を映像にして惹きつけ、それからゆっくりとつまびらかにされていく端正な狂気。女性性を執念深く描き続けてきたオゾン監督が、本作ではそれに“双子の葛藤”という要素を加えてきた(=アイデンティティの共有と分裂)。
美しく心を病んだ女性と、彼女を患者として見られなくなった精神分析医。
多用される鏡を使ったシーンと、微妙に崩れたシンメトリーの構図により、何が虚で何が実か、鏡の向こうとこちらのどちらが真実か、本人たちだけでなく観る者も分からなくなる。

【CDジャーナル 2019年02・03月合併号掲載】