Shota's Movie Review

2003年から「CDジャーナル」誌(音楽出版社 刊)に掲載されてきた映画レビューを再録しています。

自分がゲイだと認めきれていない青年の、好きな男とのたった一度の、悪ふざけのような数秒間のキス。

 『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』のグザヴィエ・ドランの主演・監督作。

仲間同士のパーティや馬鹿騒ぎ、流暢で皮肉に満ちたフランス流の会話の応酬に隠されたひとつの想い。
自分がゲイだと認めきれていない青年の、好きな男とのたった一度の、悪ふざけのような数秒間のキス。
彼だけが大切にし、心の中に沈めている思い出。それが「学生映画を撮りたい」という友人の妹の願いによって、もう一度表面に浮き上がってくる――その想いがとても美しい。

実話。彼らは今、どうなっているんだろう。

 “ストックホルム症候群”――誘拐や監禁などの密室状態で、被害者が犯人に好意を持ってしまう心理状態。本作ではその名の元となった1973年の人質監禁強盗事件を丁寧に、時に乱暴に描く。政治家や警察など部外者を信じられない中、被害者の密室での好意は恋となっていく……。保身のための勘違いなのかもしれない。しかし恋とはすべからく勘違いである。主演のイーサン・ホークノオミ・ラパスも好演。ところで彼らは今、どうなっているんだろう。

ただただ怖い、が、最後の一瞬で、観客はさらに怖いことに気づく。

歴史が浅い国のわりに、アメリカの地下には数千kmもの忘れられた地下道がある。破棄された地下鉄網や道路、廃坑などだ。地上には陽射しに包まれた生活がある。
しかし地下にもし、封じられた人々の生活があるとしたら……まるで地上の人々の幸せの影にように。
交わるべきではなかったのに、ある移動遊園地には、ふたつの世界を繋ぐ穴が開いていた──ただただ怖い、が、最後の一瞬で、観客はさらに怖いことに気づく。

歪んだユーモアを持つサイコパスとなった。同情はできない哀しさ。

世紀の悪人は、いかにして悪人となりしか。
アメコミの常で各キャラの出自は何度も違う形で描かれてきたが、バットマンの宿敵ジョーカーについては、これがもっともダーク。
堕ちていったのに、大きな要因などなかった。病の母を介護しつつ芸人を目指し、ピエロ役で下積みする男の小さな苦悩の積み重ね。本作はそれを丹念に描いた。
苦労人は、いつしか歪んだユーモアを持つサイコパスとなった。同情はできない哀しさ。

感情を持たない“欠陥品”の少女と、品行方正の優等生

自分が“怒り”や“悲しみ”という感情を持たない欠陥品だと気づいた少女は、周囲の感情をテクニックで模倣することで調和を保とうとしていた。
精神科医たちは助けにはならない。挙げ句、同級の“優等生”に友人としてセラピーを受けることに。 しかし、歪みが外から見えている少女よりも、歪みを隠し通している“優等生”の闇は深かった──。
ふたりは確かに通じ合った、“凶暴な友情”で。
小粒ながら、深い狂気を秘めた佳作。

ボリウッド映画から脱し、歌い踊る代わりに、殺す、殺す、埋める、隠す。

話題のため盲目を装ったピアニストが、招かれて行った大富豪の家で、その富豪が若い妻とその愛人に殺されているのを“目撃”。 いや、目撃してはならないのだ、彼は盲目なのだから。
大勢の歌と踊りで魅せるボリウッド映画から脱し、脚本と演技の力で勝負した一本。
若く美しい妻らは、気軽に歌い踊る代わりに、殺す、殺す、埋める、隠す。
かなり凄惨な話なのに始終苦笑していられるのは、やはり監督と脚本の力。

ぼくらが子どものころに憧れた近未来そのもの

脳内にAIチップを埋め込むことで超人的サイボーグとなる主人公──SFでは見慣れた設定だが、いや待て、腕に内蔵された銃、全自動で動く部屋や車、拡張された身体能力、頭内に響く的確なチップの声。これは、ぼくらが子どものころに憧れた近未来そのものじゃないか!
その“少年の夢”が、極めてスタイリッシュに造形される。
未来の街の景色や生活の細部にも興奮、サスペンス要素も十分。元SF少年としてハマった。