Shota's Movie Review

2003年から「CDジャーナル」誌(音楽出版社 刊)に掲載されてきた映画レビューを再録しています。

クワイエット・プレイス

冒頭からしばらく、音のないシーンが続く。
音に反応して襲ってくる“何か”から逃れるため、主人公一家は地下に潜り、手話で生活しているからだ。
しかしその“何か”は、全編を通してほとんど姿を現さない。
その正体や由来が説明されることもないまま、観客は放置される。
世界は“何か”によって荒廃しているらしい──人間にとってもっとも恐ろしいものは、“正体が分からない何か”だということだけが分かる。
この映画自体が何かの実験なのか、我々を試しているのか、という戸惑いの中、純度の高い“怖さ”だけが迫り来る。

【CDジャーナル 2019年02・03月合併号掲載】

インクレディブル・ファミリー

“いろんなスーパーヒーローが実在したらどんなにハタ迷惑か”というシニカルな自虐をまずは土台に築いておいて、あっという間にそれをバリバリと切り崩し、観客を惹き込んでしまう――ピクサー、やっぱり完全勝利。スーパーヒーロー一家を描く大ヒットアニメの続編。
前作でチラ見せしたままお預けにされていた赤ん坊、ジャック・ジャックも大暴れ、ザコのスーパーヒーローたちもそれぞれ魅せるし笑わせる。
レトロ・フューチャーな世界造形は手が込んでいるし、大人向けのメッセージもきっちり織り込んでいる。もう、感服です。

【CDジャーナル 2019年02・03月合併号掲載】

2重螺旋の恋人

冒頭2分ほどで女性の美しさとグロテスクさの両極を映像にして惹きつけ、それからゆっくりとつまびらかにされていく端正な狂気。女性性を執念深く描き続けてきたオゾン監督が、本作ではそれに“双子の葛藤”という要素を加えてきた(=アイデンティティの共有と分裂)。
美しく心を病んだ女性と、彼女を患者として見られなくなった精神分析医。
多用される鏡を使ったシーンと、微妙に崩れたシンメトリーの構図により、何が虚で何が実か、鏡の向こうとこちらのどちらが真実か、本人たちだけでなく観る者も分からなくなる。

【CDジャーナル 2019年02・03月合併号掲載】

カメラを止めるな!

総予算300万円、監督と俳優の養成スクールでつくった映像がSNSを発端に話題となり、思わぬ大ヒット作に。
監督曰く「同時期に公開されたスター・ウォーズの『ハン・ソロ』は約280億円、『カメ止め』の制作費では1秒も撮れない(笑)」。
ネタバレで爆死するタイプの作品なので概略だけいうと、安普請のゾンビ映画を撮っているダメダメ撮影チームに小さなトラブルが積み重なり、ドタバタがドタバタを呼んで──。
小さな枠組みの中で無名俳優たち全力疾走、よくまとまった。◎。

【CDジャーナル 2019年01月号掲載】

アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル

これは実話でなければ“絵空事にすぎる”と脚本をボツにされるパターン。
94年、リレハンメル五輪の選考会となる全米フィギュア選手権で、練習を終えた大本命のナンシー・ケリガンが何者かに襲撃され、膝を殴打されて大会を欠場。一方トーニャは優勝を果たした。
当時からトーニャ周辺の関わりが囁かれ、後日の裁判でも裏付けられたこの「ナンシー・ケリガン襲撃事件」を本作は、トーニャの歪んだ母子関係や、労働者階級としての生活をベースに描く。
当時は世界中がトーニャの敵だったが、今では少しだけ同情もする。

【CDジャーナル 2018年12月号掲載】

ウインド・リバー

白人により極寒の居留地に押し込まれてくらす米国先住民。ある雪の深い夜に一人の少女が裸同然で雪道を逃げ、冷たくなって発見される。
死んだ少女は実は他にもいたが、訪れたのはFBIの若い女性捜査官ひとり──。
雪の強い閉塞感。社会からの隔絶感。そこでは女が虐げられる。監督・脚本のテイラー・シェリダンいわく「ガンより殺人による死亡率が高く、強姦は少女にとって通過儀礼だと見なされるような場所」。
三者が“もう済んだ過去”と見捨てがちな居留地も強姦も、当事者にとっては“身を切るような現在”だ。

【CDジャーナル 2018年12月号掲載】

彼の見つめる先に

まだ女の子のほうが少し背が高い、思春期の真ん中あたり。
盲目の少年とその幼馴染の少女の関係がひとつ前に進もうとしていたころ、その間に割り込む形で、ひとりの転校生がやってきた。
親に内緒のパーティや真夜中のプール、初めてのキスへの期待や不安。
目が見えないだけに強調して感じられる他人の体温や匂い、息づかいの音は、観客にも伝わってくる。
視覚障害や少年と少年の恋というやや特殊な題材をとりつつ、誰もが共感できる普遍的で優しい青春映画となった。
いつの間にか嫉妬に囚われている少女が切ない。

【CDジャーナル 2018年12月号掲載】